アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』@梅田ブルク7にて鑑賞

監督:岩井俊二
出演:黒木華Cocco綾野剛 ほか


劇場で観るのは『リリィ・シュシュのすべて』以来かな。
岩井作品は短編のものが好きで当時ビデオだったり、サントラ聴きまくってた。長編では『Love Letter』。あれ台詞覚えるぐらい観たなあ。
てことで
すっかりおとなになった今、久々の岩井ワールドへどぷりしに行った。


例えばSNSが未だなかった頃なら
云わなくていいことを云わない力ってもっとあったはずだし
自分だけの日記にしたたためたり
たまに友だちに電話して憂さ晴らしたり
たぶん健全な浄化がされていたなあと
遠い目をして懐かしく思う。
架空のなまえをして
漂うようにしてつぶやかれた心の声は
誰にも届かないようでいて
遡って読めて仕舞うし
瓶に詰めて流れてったように誰かによって開かれる。
真白がその声を見てしまったのは
出会ったあとなのかな
それともランバラルが目にとめて
そこから繋げられたのかな。
にしても
其の出会いはきっと必然だったのだろう。
あの計画がどこからが其れの為だったかはわからないけれど。
物事の視点を変えることや
一面を知らないことで、
生み出されることばや出来事は
まったくちがう意味になるし
悪いひと になるひとは
ちがってくる。
真実を知らないのは不幸なのかもしれないと思っていたけれど
然うではないんだなと
じわじわとあとから感じてくるのが不思議だった。

真実は解釈に因る。
ついていい嘘がある。
きれいごとのようでいて
なんだかとても核心を突いている。
嘘のしっぽはするするとして
全然捕まえた感覚はないのに
あとからあとからじわじわとやってくる感じが
此の映画からした。

ねこかんむり。
ねこをかぶる。
ねこをかぶって嫁に行っても
きっと隠してるものはいつか見えてしまうのだろうし
その不安や曖昧な感情は何かの瞬間に
いたずらに火を点ける材料になって仕舞う。
ひとが抱く印象だったり
それが意図しないものだとしても
あの真っ白いねこかんむりは
相手に因ってちがう顔にうつるんだろう。

つのかくしの由来はなんだっけ。
角が出ないようにするのか、
取り敢えず嫁の何かを封じるような意味合いだった気がする。
其れに似たねこかんむり。
誰もがちょっとかわいくねこをかぶってみるように
軽い嘘をついたり
偽ったり
別のひとになってみたりする願望のようなものと、
其れでも通じ合う本当を探してるような
隠れているけど見つけてほしいような
そんなちょっとひねくれたようでいて
いまの世の中にはふつうみたく成り立ってる関わり方を
皮肉ったようにも思えてきた。
形式の滑稽さとか
友情とか愛情とか男女の区別とか
そこに本当がなければ
嘘なんだなと。
そこに本当があれば
愛なんだなと。
そんなことを改めて思った映画でした。