アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

『椿、母に会いに』@第七藝術劇場 舞台挨拶あり

監督:高木駿一
出演:熊川ふみ、木村知貴、谷啓吾、高野暢子

アジアン映画祭の世界初上映
ってことでかぶりつきで観てきた(笑)
『な裸べるだけ』に参加する以前のものは観てるけど
それ以来だったかも。

最初、ちょっと混乱した。
マスクの子と椿が別人と思って仕舞ったからだ。
髪型?髪色?なんか同系の年上の色白さんと浮気をしてる
とか思ってしまって気づくのにだいぶかかってしまった。
うっかり。

我慢をした末、扉を閉じると
いろんなことが面倒くさくなる。
表情に出すこともとても面倒。
其れを隠すのにとても便利なのがマスク。
隠されるとニンゲンの脳は補間する。
言葉のニュアンスだったり
慣れた流れだったりで。
でも不安だったり解らなかったりする人には
それはとても怖かったりする。
なぜ隔たりを作るのか。
隔たり。
全裸になりたがる彼はとても対称的だった。
何も隠さない彼にはとても安堵する。
革ジャンの怪しい男は
がっちりと自分を虚勢しながら相手の隔たりを外そうとする。
そして母。

現代は隔たれるものが多すぎる。
すぐに音信不通になれる。
身体の不調以外でもマスクをしてる若者を時々見かけるし。
そうしていても不審に思う人も少なくなった。
あたしはあれを隔たりと云うよりも横着者と呼んでいた。
取り敢えず楽。
体調が悪いのかもと補間され話しかけられず、
そっとしといてもらえる。
目を細めれば笑ってるように補間されるし、
舌を出してたってわからない。
マスク美人の補間とか。
都合よく補間してくれるニンゲンには
便利な仮面なのだ。

でも一度隔たりを作ると
其れを失くすことの意味が出てくる。
鎧でもなんでもないのだけどね。

事務所みたいなところで椿姫を聴くシーンで
点いてないテレビにうつる椿の影とか、
看板を抱える街角のカットや、
夕焼けの砂利道で歩くかたちがきれいだった。
見覚えのある北のあちこちのロケ地も楽しかったな。