『Dressing Up』@第七藝術劇場
たとえば何かに無性に苛立ったり
何処からか迫りくるような不安から怒ったりするような
感情の理由が未だ何なのかわからなくて、
其のわからない状態を具現化したような作品だった。
軽く「死んで」って云って仕舞うような年頃の
一見動かないような感情の奥で
とてつもなく大きくなり歪んでゆく何かへの不安と
そんな自分を直視することの躊躇いだったり。
きっと其の理由を勇ましく探求していくのは少女で
少年にはあまりないのかもしれないと漠然と思った。
何も見ないように成長して
手のつけられないモンスタァと化した大人少女ってのも結構居る。
よく"少年の心を忘れない大人に"
とかって云うけれど
少女の心は忘れた方がいいのかもしれない。
其れは乙女心云々とは別の話で、
少女が成長する過程で
現実を見つめて打破してゆく
のちにひとを産み母となる時に必要な覚悟のようなものを
拾い受け入れる為に捨てるような。
女子の方が男子より大人びているのは其の所為なのかもしれない。
ラストで友だちと向き合うときの距離間と表情が印象的だった。
傷つけられても
まわりに近付くなと云われても
何か自分も持ってる同じ感じに
惹かれ続けて仕舞うからだろうか。
あの友だちの気持ちの動きがとても気になった。
対父親ともそうで、
主人公のうやうやとした表情の奥の本心が
何故か相手の表情に映し出されるような不思議な感覚になった。