アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

「渇き。」を観た。

中島哲也監督
出演者:役所広司小松菜奈妻夫木聡清水尋也二階堂ふみ
    橋本愛國村隼黒沢あすか青木崇高オダギリジョー中谷美紀
(大阪ステーションシネマにて鑑賞)


最初観た時は情報量が多過ぎたのと、
直接は見せない暴力のシィンにポップな差し込みの多用が
心理的にぶんぶん振り回される結婚式の車の缶カラみたいな気分になって
結局どう思えば着地点なんだかをずっと探していたけれど、
考えずに、だいぶ経って(此れは1ヶ月後ぐらいに書いてます)
友が観たときにどう云うことをいいたかったのかを聞かれ考えた時に
すこし自分のなかで腑に落ちた気がしたので
感想として残しておきます。


中島作品はなぜか「告白」を観損ねているけれども
考えれば「ビューティフルサンデー」辺りからだいたい観ている。
松子あたりの画面の切り替えも割と早かったけれど
今回は本当に頭がうんにょりするぐらいに地に足が着かないうちに何処かへ
身体を投げられるような気がした。
なんだろ
其れでまず何も考えられなくするような気がした。
其処から差し込まれるように頭の中に単語みたいにフラッシュバックして
強烈な印象が植えついてゆく。
暴力、親、娘、薬、ファッション、嘘、裏切り、守る、傷つける、壊す、
最初に残ったのは、
漠然とした恐怖で、迂闊に手にしてはいけないもののこと。
そして
誰かの為と云うものも、またひとりよがりであったり自分の為であったりすること。
自分の苦しさ故に誰かとの関係や繋がりを作ろうとすること。
登場人物は誇張されていたけれど誰もが勝手であり
純粋であっても届いていなければ関係は成立せずに
互いが思ったように動いてそれぞれがよじれてゆく。


何故こんな一見解りづらい手法で制作されたのかは、
理屈で観るひとや、意味がわからない世代にでも
考えることを一切させずに
印象をサブリミナル的に感覚で植えつけたのではないだろうか、と思う。
其処から伝わるものを確信していて
其れでたくさんの若者にも観せようとしたのかもしれないな、と。
人と人の関係とか人間の浅はかさとか弱さとか。


どの役者さんもとても鋭く磨かれていて
巧い分其れはほんとうに恐かったけれど
すごい作品だな
と、
いまは思ってます。