アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

夕方の猫はミヅクロイするふりをして、世の中を観察している。

くびのねちがえりがはんぱなくて
うるーーとなりつつぎょうむをこなした。


あたまのうしろがすっきりしただけで
なんかこころもすっきりして
すっきりしすぎて物足りないくらいだ。
まるで
爽やか過ぎて
なにも感じない好青年みたいだ。
(其れはあたしが然う云った所謂面食いぢゃないからだろう)


金欠の時期になると
あたしが食べなくてげっそりするのと
更にきょうは
ねちがえり風情だもんで、
やたらみんながやさしかった。


日頃やさしくされなれないのでむずがゆい。

然し乍ら
みなさま大体あたしを猫の風情で扱ってくださるので
至ってらくちんでございます。


きまぐれにやさしいから。


あたしもきまぐれににゃんとしたり
ふぎゃっとツメを出したりするわけです。
いやなにおいのするニンゲンには近づきません。
こどもの頃大半を家で猫と過ごしたからかもしれません。
勘だけは鋭いです。
ドウブツ的な。



然し
反射的に動いて仕舞うことも多々であるので
あたしは突然居なくなるような気もします。


猫は死に際をひとに見せないから。
実家に居た猫はそうでもなかったか。
いちばん可愛がってくれた猫(猫に遊んで貰ってました)は
外にも行き来するひとだったので
突然姿を消しました。


だから
あんまり
あれ明日やろうとか
いつか会える
とか
思えないのかもしれない。
明日なんて
きっと誰もわからないのだから。



いま然う思ったら
其れがほんとうで
いま
伝えなきゃ
きっとだめなんだと思う。