アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

「FORMA」を観てきた。@TOHOシネマズ梅田

監督:坂本あゆみ
出演:梅野渚、松岡恵望子、ノゾエ征爾、光石研


ひとは
自分の都合や感情や判断で思い込み記憶し
時として其れを
前を進む道を空けるために
段ボールの中にボンと放り込んで雑に封をし
適当ななまえをつけて積んでいたりする。
そして
いたずらに開いたとしたら
あたかも其の時の気持ちが今起こったように
生々しく湯気を立てる。


端々に感じる性格が、
言葉の使い方や声のトーンで表現され
会話の浅さと
なんでもない風な動きで強調された気がした。
飾られた音楽がないのもそう。
飾られない日常の中だから
じわじわと怖い。

長回し
日常の必然だなと思った。
日常は
つまらなくても
何も起きなくとも
其れがどんなにつらくても
はしょれない。


よく物語は
印象を与える言葉や表情を強い効果で見せて
思い描いてるところに連れていくように
観るひとにあまり考える隙を与えない。
此の映画の中で与えられた時間と云うのは
何だかゆっくりと会話をしているようだと思った。
映画と観ているひととが。

だんだんと解ること
思うこと
気になること
不思議なこと

其れらがゆっくりと
説かれて
解かれ
そしてじっくりと思う。


気になることには聞き耳立てるみたいに
其処に演技する絵がなくても
じっと聴いて仕舞う。
そんな感じのシーンとか。


女もこわいけど男もこわい。
きっとこわいの種類がちがうけど。
間違ってようと
思い込んだり
自分の解釈で行動するのは
同じニンゲンだなと思った。


然う云えば
観るひとには話しかけてくるけれど
映画の中のひとたちは
あまり深く話してはいない。
云わないことや
隠すことで
余計鮮明に其の瞬間に生まれた感情や動揺が見える。
本音を話さないと云う心理を見せることで
此方側のわたしたちは
迷いなく真意への思いを熟す。


日常はわからないことだらけで
いちいち説明などはない。
会話するか読み取るか。
話しても
相手の話しを聞かなければ
同じことだけれど。
自分と
他人と。
でも
自分も
他人にすれば
他人になる。
地球は自分中心に回っているのではなくて
それぞれがそれぞれの受取り方で成していて
其れが幾重にも重なって人間世界は成り立つ。
危うく
でもじつと在る世界。


他人と他人と他人との
幾重にも重なったフィルターで覗けば
どんな色のひとでも
黒く見えてくるのかもしれない。
なんだかそんな風に思った。