アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

「姿は心と逆を映す。」(2008年05月29日の記述)

数日前からあのニュウスがどうにも
ひっかかって仕様がない。

彼女のブログを観た印象と
同じ感じを
知人のブログで感じた。

其のひとはとても女らしくきれいでしゃんとしていて
自分が思う自分であるために努力をしており
いつも笑顔をたやさない
どこからとってもひとあたりのいい感じのひとで、
ブログを読むと
こうありたい、こうするのがいい、こうするべき、
ということが
丁寧な文体でまっすぐ書かれているのだけれど、
あたしは何故か
それらを読んだとき、
ニュウスの彼女と
同じ感触を感じた。
一種の宗教的にも似た
呪文のように唱えるような言葉。
此れ以上読んではいけない
と思って仕舞う。
感化されるような暗示力ではない
何故だかの不快感。
ざわざわな違和感。

あたしのコトバも相当に強い方なのだと思う。
でも
何故だか
コトバ本来が持つ力ではない強いものを放つ文章がある。
其れは
本来自分から滲んで表現した文章ではなく、
然うならなければならないと云う自己暗示のようなもので
其処から放たれる説得力とか感情の強さは殆どなくて
念のようなものが
普通のコトバとして綴られており
然う云うものに出会って仕舞うと
身体が異変を示すのだ。
言葉を怖い
と本当に思って仕舞う。

潜むものが多過ぎる。

前向きな程哀しく辛いことはない。
普通にして居れば
其れが、前、なのに。
前向きにと決めた途端
そっちのみが前になって仕舞い
大層雁字搦めな態なのだ。

弱音を吐いていたとしても
其処に真実が潜んでいて其れに気付かれなければ
其れは受け止められた
とは
感じないだろう。

ひとはひとりだ

云うひとの方が
誰かを強く求めていて、
友だちを多くつくるひとの方が
関係が浅く理解されていなかったり
ドライだったりする。

可愛らしい格好を好むひとの方が
実は男らしく、
ボーイッシュなひとの方が
実は女らしかったり

理想と
鏡と
現実と
反射と。
ひとは
角度を変えながら生きている。


せめて空気孔を空けられれば

思うし
あたしは
此れからも無理に笑うことはしないんだろうと思う。
ひとに向けての笑みでなく
自分を装う為の笑いの仮面。
つけたままになると
ひと休みたい時にはもう
はずれなくなるこわいもの。

たまに
そんな笑い顔を見ると
とても
とても
こわくなる。