アンヂィズキット

いろんな意味で演ずるひと。 芝居・音楽・絵・言葉をサイクロン方式に小出しにして遊びます 。

以内思考。

…所謂「お菓子は300円以内」と云うやつ。
あたしは、あの縛りが割とすきで。
幼少時は100円を握りしめて駄菓子屋でいかに有意義を得るか
毎日考えたものでした。
イムリィなのか懐かしのなのか、
いくらでがっちり買うような番組があったかと思うけれど
あれも好きだった。
くるくる回るお菓子を決められた袋に詰め込むのとか。
幼稚園でいちばん覚えてるのが
甘酒を呑んだことと(こども用のね)
紙で作った決まった紙幣で縁日みたいなお祭りをしたこと。
決まった中で、
砂場の磁石の釣りをしようか、輪投げをしようか、甘いお菓子を買おうか、
考えるのが楽しかった。


決まった中で考えると
やりくりとか我慢するとか云うのも身につくんだろうけどそれよりも、
自分が何がすきなのか
何に価値を求めてるのか
どれならときめいて
どのくらいなら満足するのか足らないのかが
なんかわかってくる
ような気がする。
知らないうちに
身につく
でもほんとうは
のちのちいろいろでひつようなことだった。


試験中は時間がないのだけど
だから其の隙間にどうしても絵を描きたくなったり
ラヂヲ聴いたりネタ思いついたり
何か新しいことを思いついてやり出したり
縛られると時間との向き合い方がすごくシビアになって
本当にやりたいことが見えてくる。
なのに試験だしあららららってことになる。
ま、恐らくあたしが切羽詰まらないとやらない性格だからだろけど。


そんな時間に追われることもなくなって
自由に時間を使えるようになると途端にわからなくなって仕舞う。
自由過ぎるとよくぽかんとしちゃう。
自由って不自由だ。


学生の恋愛には
ちゃんと節目がある。
入学があって卒業がある。
大人になって
自由を得た。
どんな場にも出られるし
出会いの場も広がるし。
でも
自由になると自分で動かないと新しいことに出会わないし
ひろすぎてきょろきょろして仕舞うし
其れもまた恥ずかしいなとか思って気持ちを殺したり
ちゃんと好きなことを選んで以内を作らないと
ほんとうにいろんなひとがいて
ほんとうにさまざまなきもちがあって
どんなことにときめいてたか
そもそもいまも其れでいいのか
取り急ぎ現状の以内で考え過ぎてないかとか
なんか
よくわかんなくなってくる。


教室以内
部活以内
劇団以内
音活以内
仕事以内


そんな風に括られた以内がなくなると
なんだか我武者らに泳ぐことを忘れて
ぼんやりと見つけた座り心地のいいウキの上にちょいと腰掛けて
水面の上からゆらゆら揺れる中を別世界の如くのぞくばかりになって仕舞ったり。



だいじなものはなんだろう
ほんとうにすきなのはだれだろう



また
忙しくなる。
其の出来た
「時間以内」
の中で
だいじは見えてくるだろうか
そうだといいな
そうだと
いいのにな。
商品券を握りしめてデパ地下を巡りながら思うのだった。